最近、ウェイト版タロットの作者、ウェイトが書いた、タロット公式ガイドブック(邦題)を読み返している。書けること書けないことの狭間で書けることを書いているが、少し冒険してみようかな?と思っていたり、特にここまでは書けるなという基準は特にないことも見受けられたりする。もしかすると、英語の原文では、わかる人にはわかるようなギミックが仕込まれていたのかもしれない。
書きっぷりが自分とよく似ていて、自分は特にプレゼンで全然伝わらないと言われているだけにこれでいいのだろうか?という疑問がでてくるのだが、その場で終わるプレゼンと、何度も何度も読み返すことができる書籍とではそもそも比較対象にはならないのかもしれない。
プレゼンはすぐ伝わるように、書籍は深い意味を伝えるためにあるということなのか?